12年の沈黙を破って:中井美穂が伝えたい障害への理解と支援 人工肛門生活だった

12年の沈黙を破って:中井美穂が伝えたい障害への理解と支援 人工肛門生活だった

中井 美穂(なかい みほ、本名:古田美穂(旧姓中井)1965年3月11日 – )は、東京都出身(アメリカ合衆国・ロサンゼルス生まれ)のフリーアナウンサー、タレント。元フジテレビアナウンサー。血液型O型。ブルーミングエージェンシー所属。 世田谷区立玉川中学校、目黒星美学園高等学校時代は演劇部に所属。…
16キロバイト (1,843 語) – 2025年1月22日 (水) 01:56

(出典 中井美穂|マネージメント|オレンジブルーカンパニー)
中井美穂さんが自らの経験を公表されたことに、深く感動しました。外見からは分からない障害を抱える方々の声を代弁する彼女の勇気は、私たちに大切なメッセージを届けてくれます。多くの人がこのような問題に目を向け、理解を深めることが必要です。

1 冬月記者 ★ :2025/02/25(火) 22:17:32.14 ID:m+n5JqzC9

https://news.yahoo.co.jp/articles/e59d7f4ffc9a291eba7977092158add611ee9187?page=1

人工肛門生活だった中井美穂「外から見てわからない障害にも目を向けて」12年後に公表した理由と決断に至った「大きな存在」

 2002年に腹膜炎の手術をしたことでその後1年間、人工肛門で仕事をしていたフリーアナウンサーの中井美穂さん。当時のことを公表したのはそれから12年後のことでした。なぜこの段階で ── 。

■結婚を機に婦人科を受診したら子宮筋腫が

── 多発性子宮筋腫と診断されたことがあったと伺いました。発覚の経緯について教えてください。

中井さん:1995年に結婚して、子どもを授かりたいと自然と思っていたのですが、なかなか授からず、不妊治療で婦人科に通ったのがきっかけです。治療中に調べてもらったところ、子宮に筋腫があることがわかりました。

── 何か自覚症状はありましたか?

中井さん:生理は毎月定期的に来ていて、お腹は重いといえば重いけれど、わざわざ病院に行って調べるほどではないかなと思っていました。友達と生理の話をすると、周りの子は「何か月来なかった」と言っていましたし、特に自分の体に変わったことが起きているとは思いもしませんでした。結婚するまで婦人科に行ったことはありませんでした。

── 治療はどのように進めたのですか?

中井さん:最初から手術という選択肢があったわけではありません。貧血などで日常生活に支障をきたすほどではないので、「とりあえず様子を見てみましょう」ということになり、不妊治療を進めていました。ところがそれがあまりうまくいかなくて、それならば筋腫をとってから治療にチャレンジするのはどうかとなりました。筋腫の数が多かったこともあり、それが不妊の原因のひとつでないかということで、妊娠の確率を上げるために自分で選択して2002年に手術をしました。

手術といってもお腹を切らない腹腔鏡手術なので軽く考えていました。「1週間、夏休みをもらうくらい感じで入院して、すぐ仕事に復帰できたらいいな」と思っていたんです。でも、その後の経過がよくなく、痛みと発熱の症状があり腹膜炎を発症していました。

── 腹膜炎の治療のため、その後また手術をされたそうですね。

中井さん:手術に手術が重なるという感じになりましたが、腹膜炎の手術では、大腸の一部をとることになります。腸が破れて中のものがお腹の中に広がってしまう病気なので、その破れた部分を切除する必要がありました。その後、腸を回復させるために2002年から2003年の1年間、人工肛門(ストーマ)で生活することになりました。

■「どこでもまずトイレの確認」の人工肛門生活

── 人工肛門患者(オストメイト)用のトイレも増えていますが、まだまだ理解が進んでいない印象です。生活の面で大変なことはありましたか。

中井さん:人工肛門という名前から、「何か機械を体につけているんじゃないか」と思う方が多いのですが、腸からの排泄物を出す出口を新たに作って、それを受け止める袋を体につけています。お腹に装具を貼ってそこに袋をセットするのですが、排泄物が溜まったら捨てたり、袋自体を交換したりする必要があります。24時間365日つけていると皮膚がかぶれてしまって、剥がれやすくもなります。汗をかく夏は特に大変でした。便意の感覚がわからないので、お腹が緩いときはすぐにいっぱいになってしまいますし、臭いの問題もあります。この1年間はどこに行ってもまず初めにトイレの位置を確認するのが習慣になっていました。とにかくトイレに時間がかかっていました。

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