生島ヒロシに!元所属タレントがセクハラ被害と実名告発 多くの被害者にとって勇気づけられる

生島ヒロシに!元所属タレントがセクハラ被害と実名告発 多くの被害者にとって勇気づけられる

生島ヒロシのサムネイル
生島 ヒロシ(いくしま ヒロシ 、本名:生島 博〈読み同じ〉、1950年〈昭和25年〉12月24日 – )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、芸能プロモーター、ファイナンシャルプランナー。東北福祉大学客員教授。プロダクション会社・生島企画室の元最高経営責任者。元TBSアナウンサー(16期生)。…
50キロバイト (6,289 語) – 2025年2月24日 (月) 02:06

(出典 「生島ヒロシのおいしい時間~ごはんとお味噌汁、定番の組み合わせの栄養効果~」2020年6月17日放送分)
生島ヒロシ氏の元所属タレントによる実名告発は、セクハラ問題に対する社会の目を再び向けさせる重要な出来事です。彼女が勇気を持って声を上げたことは、多くの被害者にとって勇気づけられるニュースであると同時に、芸能界や職場でのセクハラ撲滅に向けた一歩となることを願っています。これを機に、より多くの人が自らの体験を話せる環境が整ってほしいと切に思います。

1 Ailuropoda melanoleuca ★ :2025/02/24(月) 11:07:36.28 ID:oBi70wb89

「会長のことがすごく嫌いで、絶対に許せないというわけではありません。事務所にもお世話になっていましたし、書籍の出版もさせてもらったりと感謝の気持ちは大きいです。ただ、それと会長がやったこととは話が別。やはり、私に伝えられることがあれば、話す意味はあると思っています」

 女性はまっすぐ前を向き、決意を語った。彼女の名はナガセサエコさん(54)。現在の肩書きは “ビューティデザイナー” で、美容に効果的なストレッチやエクササイズなどを指導し、都内でサロン経営や健康関連の事業もおこなっている。

 かつては永瀬冴子・長瀬サエコの名義で知られ、10代の終わりからモデル業を開始し、CMや女性誌などで活躍。1990年代後期以降は、ミュージシャンとしての活動も続けている。

 過去に彼女は、フリーアナウンサーの生島ヒロシ(74)が会長を務めていた生島企画室に所属していたことがある。生島は1月27日、コンプライアンス違反を理由に、TBSラジオでのレギュラー2番組を突然降板。同時に無期限の活動自粛を発表し、世間に衝撃をもたらした。

 その生島から、ナガセさんは同社所属時代にセクハラの被害を受けていたというのだ。今回、その衝撃的な事実を明るみに出すため、本誌に口を開いた。

「私が生島企画室に籍を置いたのは2011年から2017年9月のこと。それまで所属していた事務所が社長の体調不良により存続が難しくなったため、急遽、移籍先を見つけなければならなくなりました。自ら履歴書を書き、売り込みをかけたうちの1社が生島企画室でした。他社に先駆けて連絡をくれたのが同社です。

 ナガセさんが生島と同じ法政大学出身というよしみもあって、生島から熱心に口説かれ、「他社には俺から断わりを入れるよ」とまで言われたという。

 生島の強い推薦もあり所属が決まったナガセさん。生島にとってとくにお気に入りの存在だったのだろうか。やがて生島のナガセさんに対する言動には、“公私混同” ぶりが目立つようになった。

「生島企画室に入ってから間もなくのことです。会長と家が近所だったので、よく電話がかかってくるようになりました。『サエコ、今は家にいるの?  だったら来ない?』と、お気に入りのファミレスに呼び出されることがたびたびありました。

『なんでも好きなものをお食べ』と言ってくれるのですが、たまたま私は食事のタイミングではなく、コーヒーだけのときが多かったですね。

 そのうち、会長が通うフィットネスジムに呼ばれ、『一緒にトレーニングしないか?』と言われたりもしました。私はやんわりと断わって、見学だけしていたこともあります」

 彼女は、生島が体を鍛える様子をかたわらで黙って見ていたという。

「会長はライザップのCMに出ていたので、その間は(同社の)恵比寿のジムに通っていて、『サエコも一緒に来い、応援してくれ』と言われたことがあります。

 ウエイトリフティングのマン・ツー・マン指導を受ける会長を、真横で励ましながら眺めていました。冷静に考えれば、奇妙な構図ですよね。

 会長はナルシストだと思います。要望を拒めば機嫌が悪くなりかねないし、会長の意見には絶対服従という空気があって、断わりづらかったんです。

 行きつけのジムにはプールもあり、『お前も泳ぐか?』と言われると『さすがにそれは……』と咄嗟にかわし、会長が泳ぐ姿をじっと見守るということもありましたね。

 当時はどこまでが仕事なのか、判断が難しかったので、できるだけ断わらないようにはしていましたが……」

 そして、2016年の春から夏にかけて決定的な事件が起きた。

「仕事で一緒になると、会長と帰る方向が同じなのでハイヤーで送ってもらっていました。その車中で、会長は私の手を握ってくるようになったのです。運転手もいますから、ちょっとおかしいなとは思っていました。

 ただ、初めは何気ない感じで、会話の内容も普通だったので、そこまでの抵抗感はありませんでした。会長は人前でハグするようなフランクな人ですし、挨拶の一環かなと思うようにしていました」

 生島は拒絶されないのは受け入れられていることだと思ったのか、ナガセさんへの親愛の情を示す行為はさらにエスカレートしていった。

「手を握る行為が、いつしか私の手を会長の股間に持っていくようになりました。そのとき、『サエコはいい女だね』などと言われました。

 でも、『それは会長、さすがにちょっと……』といなしましたが、会長は懲りてない様子で、その後も何度か同じ行為をされました」

全文はソースで
https://smart-flash.jp/entame/331125/

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