【芸能】過酷な水着撮影で体調不良→22歳で病気発覚→人気絶頂でグラビア卒業…川村ひかる(44)が明かす、グラドル時代に抱えていた苦悩
【芸能】過酷な水着撮影で体調不良→22歳で病気発覚→人気絶頂でグラビア卒業…川村ひかる(44)が明かす、グラドル時代に抱えていた苦悩
〈雛形あきこに“嫉妬”して芸能界入り、アイドル活動がツラすぎて“うつ病”に…「歌番組で声が出なくなった」元グラドル・川村ひかる(44)のブレイク前夜〉から続く
1990年代後半から2000年代前半にかけ、トップグラビアアイドルとして活躍した川村ひかるさん(44)。自身の夢であった一方、ストレスも多かったというグラビアの過酷な仕事、その後の体調不良などについて語った。(全3回の2回目/3回目に続く)
◆◆◆
『ウイニング競馬』に5年間レギュラー出演
――川村さんといえばグラビア以外に、2000年から5年間『ウイニング競馬』(テレビ東京)のキャスターを務めました。ファン層も変わりますし、あれは大きな変化だったのではないですか。
川村ひかるさん(以下、川村) 大きかったですね。土曜日の『ウイニング競馬』を見ている方は、競馬が本当に好きなコアなファンの方が多いんですね。なので芸能界でも競馬が好きな大御所の方が番組を見てくださっていて、現場でご一緒すると「今度のレース何買うの?」って話しかけてくださって。志村けんさん、和田アキ子さんもそうでした。
当時は短大に通っていたんですが、学生は馬券を買えないじゃないですか。馬券を買うと買わないでは、競馬に対する思い入れも違う。もっと競馬にハマりたいなと思って、短大を辞めてしまいました。でも5年間レギュラーで番組に出演させていただいたので、自分の中ではすごく大きな経験になりました。
――グラドル時代は月給20万円でしたが、さすがにその頃にはお給料は上がっていましたか。
川村 ありがたいことに上がってました。でも当時、お金を使う時間がなかったんですよ。今みたいにスマホ1つで買い物ができるわけでもないですし。なので仕事が終わって、友達とお茶を飲むか、バーに行ってお酒を飲むくらいしか、自分の時間がなかったです。
お酒はすごい飲んでました。夜10時に仕事が終わって、翌朝の6時にお迎えに来ていただくまでが自分の時間でした。芸能以外の友達に会おうと思ったら2次会の時間帯で、みんな酔っ払ってるのでお酒を飲むしかなくて。
常に鞄の中に「Gallop」(競馬専門の週刊誌)やスポーツ新聞が入ってましたし、あとゴルフもやってたんですよ。なので、週末は競馬かゴルフをやるっていう、昔で言う“オヤジギャル”でした。
真冬に水着を着て撮影、番組の衣装も生地がペラペラで…
――当時のグラビアは海外ロケも多いですし、スケジュールは大変だったんじゃないですか。
川村 海外での撮影が多かったですね。金曜日までハワイで撮影して、帰国したら『ウイニング競馬』の収録をして、翌日また海外に行ってと月2回くらい海外に行ってた時期もありました。
海外に行く時間がない時は、真冬の早朝の日が出ている時間帯に屋上で水着になって、撮影をしてました。ニコニコしてましたけれど、体はもうブルブル震えていたり。海外と日本の寒暖差で体にはストレスがかなりあったと思います。
それにグラドルは衣装が水着なので、テレビで他の出演者の方たちがジャケットを着ているのに、私は水着が衣装なんてこともありました。洋服を着てもセクシーな胸元の開いた衣装だったり、生地もペラッペラのものが多かったです。
――ほかに当時大変だったことはありますか?
川村 体重の増減はすごく言われました。私は背も低いので、スタイリストさんが私のサイズにあわせて衣装を縫い合わせてくれるんです。でも前日にすごく食べちゃったとか、ストレスで太りだすとマネージャーから冷たい視線を向けられることがありました。なので、当時は五反田のボクシングジムに通って、泣きながらサンドバッグを打ってストレス発散をしてました。
午前中はグラビアの撮影で、午後はテレビの収録。お仕事が終わるとストレス発散のためにお酒を飲んでしまい……体に良いことが1つもない。そんな状況でした。
体調を崩し、22歳で子宮内膜症と診断される
――そうした生活から体を壊してしまった。
川村 お酒を飲んで帰って、2、3時間しか寝ないで朝6時発の新幹線で地方の収録に行っていました。そんな生活をしていたから、22歳とまだ若かったのに疲れが抜けなくて。月経前症候群っていうんですけど、月経が始まる前から体調が悪いんですよ。体がだるかったり、頭痛がひどかったり。そこから月経が始まったりすると、1か月の間に、約2週間くらい体調が悪いことになる。
撮影の時も大変になるんですね。月経が始まると2キロくらい体重が増えて、顔がむくんだりして、マネージャーが現場で慌てるということがあって。心配で病院にいったら、子宮内膜症と診断されたんです。
お医者さんには「ピルを飲んで排卵を止めると生理も起こらないから、コンディションが整うよ」と言われたんですね。なので、そこからピルを長い期間飲むことになりました。
食生活を見直すことで体調が改善
――川村さんは発酵食品の本も出されていますが、20代半ばから健康に目覚めますよね。きっかけはなんだったんですか。
川村 その頃に健康診断を受けたら生活習慣病予備軍と指摘されて、そこから食生活を見直しました。自炊をするのが楽しくなり、ぬか漬けも始めましたし、それまでは仕事場で用意されるお弁当を食べていましたが、そこからは自炊した玄米ご飯のおにぎりを持って仕事へ行ったりしていました。
――それで体調は改善するものなんですか。
川村 もう全然変わりますね。まず便秘が治りました。食生活が整うって、そういうことなんだなってすごく思って。仕事でのストレスや緊張も多かったので、交感神経がずっと過緊張になり、胃腸の働きが止まっちゃうので便秘になるんですよね。
でも便秘だとお腹が膨らむから、グラビアでの撮影では絶対NGなんですよ。下剤を飲んでいた人たちもいるぐらい。本当にみんな便秘が治らないと言っていました。
それに便秘はお腹の中に老廃物がたまっているから、肌荒れをするんですよね。その上でメイクをするじゃないですか。メイクをしている時間も普通の方よりとても長くなってしまうので、肌荒れの負のスパイラルに陥るんです。
雑誌だと肌荒れは修正してもらえるんですけど、テレビやイベントが大変で。当時のファンの方は雑誌をイメージしているので、実際のグラビアアイドルの肌が汚いなんて言ったら、イメージがガラガラって崩れていくわけじゃないですか。
グラビアの仕事から離れていった本当の理由
――ちょうど同じ20代中盤で、グラビアの仕事に限界を感じたそうですね。
川村 グラビア界では“ニコパチピーカン”って言うんですけど、燦々とした太陽の下、笑顔でカラフルな水着を着る。これが青年誌に出るグラドルのゴールだと私は思っていたんです。
コンビニの雑誌コーナーって入口から女性誌、少年誌、青年誌があって、一番奥に成人誌があったじゃないですか。デビューして成人誌から青年誌に移行することが目標だったんですが、活動が長くなってくると成人誌の方に戻ってくるんですよ。撮影でもキャミソールになって肩をはだけさせたり、撮影場所が南の島から温泉になってくる(笑)。
もちろん年齢を重ねてきてるから、ニコパチピーカンでないのは分かるんですよ。でも、もう自分で区切りをつけないと、どんどん違う方向にいってしまう。それは自分の理想と違うので、グラビアの仕事から離れました。
撮影=細田忠/文藝春秋
〈「妊娠は難しいかもしれない」31歳で若年性更年期障害、35歳で脳動脈瘤…病に侵された元グラドル・川村ひかる(44)が語る、出産までの壮絶な道のり〉へ続く
(徳重 龍徳)
<このニュースへのネットの反応>