大黒摩季、弟の死去を受けての想い。深い悲しみ「奇跡を信じていた」
大黒摩季、弟の死去を受けての想い。深い悲しみ「奇跡を信じていた」
大黒 摩季(おおぐろ まき、1969年〈昭和44年〉12月31日 – )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、俳優。本名、大黒 摩紀。所属事務所およびレコード会社はB ZONE。北海道札幌市南区出身、藤女子高等学校卒業。代表曲はミリオンセラーとなった「ら・ら・ら」「あなただけ見つめてる」「DA・KA・RA」など。…
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大黒摩季さんの悲しいお知らせに、心が痛みました。弟さんの死去に対する深い悲しみが伝わってきます。彼女の思いを受け止め、私たちも共に祈りを捧げたいと思います。失ったものへの悲しみは計り知れませんが、大黒さんが元気を取り戻す日が来ることを心から願っています。
1 冬月記者 ★ :2025/09/07(日) 16:08:38.30 ID:eAhqhUDe9
https://news.yahoo.co.jp/articles/eac747d3c72b736c4bc1a8a00ca90fe61c37256e
大黒摩季、弟の死去を報告 「どうして」深い悲しみ長文でつづり「奇跡を信じていた」
シンガー・ソングライターの大黒摩季(55)が7日、自身のインスタグラムを更新。「9/6のam2:31 愛弟の礼騎が父母の待つ天国へと旅立ちました」と、弟・礼騎さんが死去したことを報告した。
投稿の冒頭から「どうして」と深い悲しみ。
「8/30札幌hitaruでのライブに家族で来て いつになく喜び楽しみ珍しく丸ごと褒めてくれた可愛い笑顔と」「次の日の帰りも両親のお墓参りを一緒にし 娘達と嫁と家族で朗らかに過ごし空港まで送ってくれて」と和やかな日々を振り返り。
その後「9/3の夕方 再び脳出血で救急搬送されました」と説明した。
礼騎さんが2021年に「椎骨動脈乖離」を患い、奇跡的に生還していたことも公表。
今回は別の箇所で、「右被殻出血により脳の中心部の動脈から出血し、脳幹までも損傷したことから運ばれた時には既に瞳孔反射も無く 全身の機能も低下していましたが、心臓だけは『俺は生きたい』と言わんばかりに強く心拍を保っていました」などと振り返った。
大黒は「あまりの突然のことに翻弄され、でも奇跡を信じていたので礼騎とご縁のある方々へのお知らせが今となってしまい申し訳ありません」とつづり、
「お一人お一人に伝え礼騎の眩しい奮闘物語を直接お聞かせしたかったのですが心の余裕なく」「この場で一括させていただくこと、どうかお許しください」などと伝えた。