西田敏行さんのお別れの会:700人が見守る。米倉涼子涙浮かべ大好き・・・

西田敏行さんのお別れの会:700人が見守る。米倉涼子涙浮かべ大好き・・・

西田敏行のサムネイル
西田 敏行(にしだ としゆき、1947年〈昭和22年〉11月4日 – 2024年〈令和6年〉10月17日)は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者。 福島県郡山市出身。オフィスコバック最終所属。4歳年下の妻と2女がいる。 協同組合日本俳優連合理事長、日本アカデミー賞組織委員会副会長。栄典は従五位・旭日小綬章。…
151キロバイト (18,848 語) – 2025年2月18日 (火) 08:52

(出典 西田敏行(週刊シネママガジン))
西田敏行さんのお別れの会には、700人もの多くの方々が参列され、その人柄の厚さを改めて感じました。米倉涼子さんの涙が、その想いを代表しているようでした。西田さんの存在は、数々の作品を通じて私たちに感動を与えてくれました。今こそ、彼の才能と優しさを振り返り、彼の遺したものを大切にしていきたいです。

1 冬月記者 ★ :2025/02/18(火) 21:11:37.04 ID:hjy1axsF9

https://news.yahoo.co.jp/articles/48a89ffa46a75a8ea9ef8a0e919bd378ed0cfc78


(出典 i.imgur.com)


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西田敏行さん「お別れの会」に700人参列、米倉涼子涙浮かべ「大好きです」

 虚血性心疾患のため昨年10月17日に亡くなった俳優の西田敏行さん(享年76)のお別れの会が18日、東京・港区の増上寺光摂殿で営まれた。

 50年来の友人たちによる「五人会」の柴俊夫、松崎しげる、田中健、「ドクターX」で共演して以降、公私で親交のあった米倉涼子ら関係者約700人が参列し、西田さんに最後の別れを告げた。

 祭壇は、西田さんが好きだった故郷・福島の猪苗代湖から磐梯山を望む風景をシャクナゲや桜、菊など4000本の花で表現。その中央、山頂付近に山岸伸氏が約2年前に撮影したプロフィル用の笑顔の遺影が飾られた。

 増上寺は、徳川家の菩提寺。西田さんは、NHK大河ドラマで徳川将軍を3度演じており、2000年「葵 徳川三代」では秀忠役で、「(正室の)お江の眠る増上寺に葬ってほしい」というセリフがあることから選ばれた。会場は西田さんが出演した映画やドラマのポスターで彩られ、「もしもピアノが弾けたなら」などの歌声が流れた。

 柴と松崎は弔辞で、西田さんとの出会いからの数々のエピソードを披露。柴は「西やんは我々の誇り。お別れはいいません。また会いましょう」、松崎も「あなたは天国でも地獄でもない、楽園にいる。一緒に闘ってきた友として、その楽園でまた会いましょう」と再会を誓った。

 米倉は遺影を見上げ、ため息を一つ漏らし「敏ちゃん」と親しみを込めて呼び掛けた。「ドクターX」での共演から、「西田さんから敏ちゃんになり、飲み仲間、カラオケ仲間になり、いつしか目標となっていた」と家族ぐるみで付き合ってきた。

 突然の悲報には「心の準備がなく、電車の中で大声を上げて泣いたことをはっきりと覚えています」と回想。

 「惜しみない愛情のこもったたくさんのアドバイス、心からありがとうです。これからもずっと、天国から日本のエンターテインメント界を見守ってください。そして、気が向いたら私の体を使ってお芝居をしに来てくださいね。大好きだよ」と涙を浮かべながら感謝の言葉を送った。

 2008年『ザ・マジックアワー』などで起用した三谷幸喜監督は、本人から聞いたというドラマ「西遊記」でのエピソードを披露。

 「富士の裾野にロケに行った時のこと、休憩中にどうしても我慢できなくなり草むらでそーっと脱ぷんされたということです。そこに自衛隊の一個小隊が通りかかり、*(猪八戒)の姿で用を足している西田さんを見て、思わず全員で敬礼をしたということです」。

 お別れの会らしからぬ仰天話に、参列者からドッと笑いが起き会場を和ませていた。

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